2007年1月15日月曜日

今更プライベート・ライアン

というわけで今更ですが。。。今頃になってやっと理解できた(と思う)ので書きます。

私この映画は映画館で公開してる時に観に行きました。その時の感想は

「なんでライアン二等兵を助けに行くの?」

でした。
いや、司令部の命令ってのはわかるし「兄弟3人とも死んでしまうと忍びない」ってのも理解はしてます。
けどじゃあ、戦死した一人息子の親に対してはどうよ?と。ちょっとそりゃ起承転結の「起」にしては弱くね?と。
いやスピルバーグのこと、もっとちゃんとした理由があるはずだ(それはそれで主題から外れそうな予感がしつつも)。

そう思って最後まで観ましたが。。。あれー終わっちゃった。。。
で、特に感動することもなく疑問のほうが大きいまま映画館を出ました。

まあ序盤のノルマンディ上陸作戦の真に迫った映像で気分が悪くなって、「あぁ戦争って醜いなぁ」というのを実感させた事に関しては凄いと思います。そういう意味では「火垂るの墓」と同じく「戦争がどれほど非道いものか」を実感出来る映画でしょう。

だがやはり最初の疑問が解けない。そういう訳で私の中では「戦争の非道さが主題でストーリーは後付けのこじつけ」という判定で終わってました。
たまにふと、この疑問を思い出してこねくりまわしてみるのですが、どうもしっくり納得できないまま数年。。。
つい最近になって「コレかも!?」という発想が。

プライベート・ライアンはカフカの「審判」だ!

と思いつきました。

「審判」は主人公「K」が逮捕される所から始まります。逮捕といっても刑務所にしょっぴかれる訳ではなく「あなたは逮捕されました」とだけ言われ、罪状を聞いてもはぐらかされてしまう。
だがこのままストーリーは続いて行きます。結局罪状は最後まで分からずじまい。というかストーリーも私には理解出来ませんでした(汗。
主題は多分、権力を持つ団体(政府でも結社でも何でも)から、個人というものは不当に扱われてるという不条理さですかね。
(今の日本の政府を見てればなんとなく分かるかとw)

これをプライベート・ライアンに照らし合わせ、総司令部を団体、トムハンクス演じるミラー大尉をKとするとかなり理解出来るようになりました。
ここで審判と対照的なのは、Kは逮捕に対して否定的で(当たり前だけど)自分を正当化しようと奔走するけれど、ミラー大尉は軍人であり、受けた命令がどんなバカな内容でも服従、遂行するという兵士の鉄則を守り通します。

そして「ライアン二等兵を探し出し、生還させよ」の命令。ここで私は騙されてたんですね。。。
この命令、一見憐れみがあるように思えますが、それはそのときの司令部の単なる「気分」です。「たまには人道的に考えてやりましょうかねぇ、いやぁ私って寛大だなぁ」みたいな。
結局この命令自体が不条理だったと。

「『不条理であっても仕事は仕事』。それ自体が不条理である」というのが一つのテーマだと思えます。

更に、この不条理な命令のおかげで助かったライアンが、最後どんな想いでミラー大尉の墓に敬礼しているかを考えると、凄いやるせなさを感じます。
このやるせなさこそ私たちが考えるべき事であろうと思います。

という事で、どこまでもどこまでも悲しい話だ、という結論になりました。

これでやっと私なりに納得できた。戦争描写と「感動作」という前評判および雰囲気にすっかり騙されてたという訳でした(汗。
まだまだ読解力が足りんなぁ。。。

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